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やまだのーと。

山田の感じたこと、知ったこと、気付いたことのメモ書き。

ハロウィンに求められている非日常生

10月31日はハロウィンでした。

29日(土)からの3日間、

熊本では下通を中心に中心市街地で仮装した老若男女が目につきました。

数年前までは私も結構気合いを入れた仮装をして街を練り歩いていました。

 

ことしもハロウィンのイベントに誘われましたが、仮装はせずにカメラを首からぶら下げて同伴したくらいです。仮想するのは好きなんですが、なんか違うと思ったからです。

 

品が無いなあと思うものの、それで街の飲食店の売り上げが上がったり、賑わいにあふれるのは良いことだと思います。ゴミが散るとか言いますが、市民のモラルの低下はハロウィンに限ったことではなく、藤崎宮の例大祭などの神事(あれはあれで近年問題ありだと思いますが)でもポイ捨ては多いです。

 

もともとハロウィンはそもそもハロウィンの起源は収穫祭であり、悪霊を追い払う宗教行事でもありました。後者は日本でいうところの節分の豆まきみたいな感じですね。

それが、アメリカで子どもが仮装して近所の家を回って「お菓くれ、くれないといたずらするぞ」とお菓子をねだる民間行事として定着しました。

 

日本ではご存知の通り、収穫祭や悪魔祓いの意味合いは無いですし、仮想するのも子どもより大人の方が多い有様です。クリスマスも然り、これが日本式なので定着するだけの理由があったわけですから、私はそれで良いと思います。

きっと、人は日常から離れて騒ぐ場所を求めてるんじゃないかなあと思うんです。

同じことの繰り返し、仕事や人付き合いのストレスをどこかで発散したいけれど、その手段が分からない。そんな人達がわーっと騒げる場としてハロウィンって適切なんじゃないかな、と思います。

 

「ハロウィンって日本の習慣じゃないし」

「騒いじゃって馬鹿みたい」

「ゴミばっかり散らかして」

 

と、毎年のように批判の声もありますが、きっとそのような人たちはそんな現実逃避の場を必要としていないか、そこに自分自身が踏み込むことでストレス発散できるタイプの人では無いのかな、と思います。

 

商業化の観点もありますが、結局社会の変化で人の求める所も移り変わってきているのです。地域のお祭りやちょっとした会合でなく、大々的に誰が企画したでもない有象無象の集合体に埋もれ、その中で非日常を体験することがフラストレーションの発散につながっているのでは無いでしょうか。

 

思い切り非日常を体験できるイベントがあれば、流行るかもしれませんね。

何か面白いことできないでしょうか。