やまだのーと。

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熊本地震から5カ月経ち、南阿蘇村立野地区に足を踏み入れた。

熊本地震後、益城町西原村嘉島町や御船町には何度か足を運んだが、南阿蘇村には機会がなく、足を運んでいなかった。

ふとしたきっかけで、南阿蘇村立野地区に足を運ぶことになった。まさかの原付である。googlemapで言うとこの辺り。

阿蘇大橋が崩落したことに加え、豪雨により土砂崩れが続き、先に道は無く、途中で警備員さんに折り返すように言われた。周囲に見える山肌は、まるで鋭い詰めで引き裂かれたかのようにえぐれていた。古くからそこにある原生林も、深く根を張った木々が崩れ落ちていた。

そして何より、驚いたのは、水が通っていないのだ。震災から5カ月。私の住む熊本市内は復旧も進み、ほとんど震災以前と変わらない生活が出来るようになった。まさか車で(私は原付だが)1時間ほどの場所で、未だにライフラインが止まっているとは思いもしなかった。

現地の方の案内で、崩落した間際まで立ち入ることができた。f:id:yamadanote:20160920173359j:plain

この場所に阿蘇大橋がかかっていた。あと一歩進んだら転落する位置で、案内人も「ここもあと何度か雨が降ると残っているかどうか…崩れるでしょうねえ」と話していた。この崩れた辺りには震災前は水田があったという。

 

その後、案内されたのが鉄砲水が走ったと言われる、新所地区だ。

「この辺は地元の人間じゃないと知らないから、あんまりマスコミも報道しない」

と話してくれた。

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橋の下のトンネルだが、壁に泥が付着している。ここまで水が迫ってきたということだ。流れ着いた日用品が散乱したまま、片付けられることもない。

周辺を散策する中で感じたのは、本当に震災のあとから時間が止まっているのだということ。何も進んでいないのだ。

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倒壊した家屋の下に、こんお5カ月ずっとそのままにされれいる自動車があった。

水に打たれたまま、泥が付着し放置されている。水は未だに通っていないのに、

水により苦しまされた跡がしっかりと残っている。車を出すには解体作業から始めなければならないが、その目処さえ経っていない。

そもそも、車ももう取り出してどうこうというレベルではないだろうが。

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民家の1階部分には土砂が流れ込み、半分ほどの高さまで埋まっている。この民家は震災前にリフォームしたばかりだったという。

濁流は全て飲み込み、流れていった。f:id:yamadanote:20160920173352j:plain

 

鉄砲水が走り去った跡は何も残っていなかった。隣の家は大きな損傷は無かったが、少しの位置の差で家は自然に戻ってしまった。奥に見える山肌も抉れ、崩れ落ち、大地が顔を出している。

 

5カ月だ。震災から、5カ月。

正直、熊本市内にいると、もう過去のことになりつつある。余震は続いているが、本当に以前と変わらない生活をしているのだ。

あの非日常はすでにどこかに行ってしまったのだ。熊本市内の人間は大多数がそうだろう。津波で流されたわけではない。原発が暴走したわけでもない。火災で燃えたわけでも、何百人も何千人も、何万人も命を落としたとか、そんな絶望的な悲劇が起こったわけでもない。

だから、人は忘れてしまう。あの二度の大揺れを身を持って感じた私たちでさえ、あの日のことをまるで夢のように思うのだ。だのに、全国報道が止まったとか、もう忘れられているとか、そんなことを言っても当然だと思う。

しかし、この地に足を踏み入れて、決して終わっていないことを思い知る。

かといって、私にできることは何もない。国や県の力でもどうしようもないのだ。

だからと言って、見ないフリは出来ない。忘れないように、しっかりと現状を認識して、忘れてないよ、見捨ててないよと、届かなくても思っていたい。

また訪れます、近いうちに。